2012年5月1日火曜日

事例・話題の履歴


事例・話題の履歴

事例・話題の履歴

ここには、2000年3月から紹介してきた事例をストックしてあります。

事例1 「悩める内科医」

診療所勤務の頃の事例です。

92才の女性で、大腿骨頚部骨折の手術後にほぼ寝たきりの状態となり、往診をしていました。骨粗鬆症(骨がもろくなり、痛みを伴ったり、骨折を起こしやすくなります)もあります。
年に何回か誤嚥性肺炎(いわゆる「穴違い」をして、気管に食事などを吸い込んでしまうために起こる肺炎です)を起こし、在宅で治療しました。
肺炎を起こすたびに入院の意志を確認しましたが、本人はいつも「嫌です」と言い、御家族も、「入院すると急に騒ぎ出して、かえって大変なので、本人の希望どおり家で診てやって下さい」と言います。
3年の間に、次第に体が思うように動かなくなり、腰の痛み(多分、腰椎の圧迫骨折のためだと思います)も加わ� ��、一日中ベットの上の生活となりました。
介護は娘さんが主に行っており、2才の喘息を持ったお孫さんの面倒を見ながらで、本人の糖尿病と高血圧の治療もおろそかになりがちでした。経過とともに、娘さんの苛々もつのってきていたようです。
ショートステイという、短期間(二週間ほど)老人保健施設に入所するサービスも勧めてみましたが、見学に行っただけで、本人は「行かない」と言い張るようになり、継続できませんでした。
最後の冬、何度目かの「誤嚥性肺炎」を起こし、点滴や内服で治療し、治りきった時の往診の話しです。
「良かったですね。」と声をかけると、「有り難うございます。でも、私は今月一杯です。一番世話になった娘に感謝状を書かなくては。」といいます。
御家族は、「頭がお� ��しくなったのでしょうか。」と不安がっておられましたが、「本人の本当の気持ちでしょうから、十分に話しを聞いて、したいことをさせてあげて下さい。」と話しておきました。
その一週間後、食事の後に大きくむせた後、高い熱とともに、意識ももうろうとしたとの連絡が入りました。夜間に緊急の往診をしたところ、今回は最重症の誤嚥性肺炎で、肺にほとんど空気が入っていませんでした。意識も無く、呼吸も弱くなっていました。
すでに本人の意思の再確認は出来ませんが、御家族と今までの経過から、家で最期まで看ることになりました。
その時御家族は、「この一週間で様々な遺言を残して行きました。皆に感謝の言葉も伝えていました。初めて家に居させて良かったと実感しました。」と話してくれました。翌日も往診しましたが、様態は変わり無いようでした。
その日の夜中、「呼吸が止まったようです。」との連絡が入り、訪問看護婦さんと診療所の看護婦さんとの三人で駆けつけました。
患者さんはベット眠るように亡くなっており、ベットの周りには大勢の御家族が集まっておられました。すでに、葬儀のための部屋の整理も始まっていました。
最後のお別れをし、御家族に改めて経過を説明しました。
御家族は笑顔で涙をいっぱい流しながら、「家に最期まで居させて本当に良かった。」と言って下さいました。
後日、「遺言です」というメッセージ付きで、私にはお酒が、看護婦さんたちにはお菓子が届きました。

私にとっては明確に本人の意思を確認できた在宅終末期の貴重な経験でした。このような例� �多いものなのでしょうか。是非、似たような経験をお持ちの方のご意見をお聞かせ下さい。
また、「最期に」ではなく、経過のいろいろな場面で、「家に居させてあげて良かった」といって頂くにはどうすれば良かったのでしょうか。ご意見をお願いします。

事例2 「悩める内科医」

92床の高齢者中心の病院での経験です。

98才の女性です。老年期痴呆・左上腕骨骨折後(折れたままです)で特別養護老人ホームに入居されていた方です。
身寄りは、施設や病院から車で2時間以上かかるところにお住まいのお孫さんだけです。
昨年の暮れから元気が無く、食事を摂らないため点滴をしていたようせすが、呼吸も苦しそうになったのでということで紹介して頂きました。
入院後2日で、「右肺全体を埋める肺ガン」と診断がつきました。リンパ節の腫れのために、首や両手からの静脈の血液が戻りにくく、顔や両手はパンパンに腫れていました。
酸素を使おうとすれば嫌がり、点滴も嫌がり、何もしないと「何とも無い」「どこも悪くない」といいます。
入院時にお孫さんに病状を説明し、無理な点滴はかえって呼吸困難を強くすることや、症状を出来るだけ無くする治療に徹した方がよさそうな状態であることを話しました。
御家族の了承を頂き、病院で「点滴をしない」緩和ケアを試みました。
利尿剤やステロイドなどが効果あり、幸い、むくみも取れ、呼吸も楽になり、好きなときに水やジュースを飲んでおられました。介護のときには嫌がることも多かったのですが、体を触っていると、「またこの子はいたずらして・・ア・ハハハハ」とご機嫌な時もたまにはありました。
御家族は、休みの日に数時間ほど面会に来るのがやっとのようでした。
入院して三週間。最後は独りで、早朝に眠るように息を引き取っておられました。

超高齢者の場合、必ずしも十分な介� ��を受けられない家族状況にあることも多いようです。この場合も、車で2時間以上かかるところに住んでおられるお孫さんに、過剰な負担は望めません。このような方が最期を迎えられる場所はどういったところが良いのでしょうか。

また、私は病院の中ではじめて「在宅」におけるような点滴を極力しない治療を試みました。自分にもスタッフにも心のどこかに「漠然とした不安」があったと思います。この辺についてもご意見をお願いします。

事例3 「悩める内科医」

80才代後半の男性

脳梗塞後遺症と脳血管性痴呆で某病院に通院していましたが、肺炎・心不全の診断で入院されました。


妊娠中の下腹部痛

10日ほどの入院の後、病院の主治医から、「後1週間ほどと思われますが、最期は自宅でと思い、御家族も希望されていますので、往診をよろしく」との電話があり、往診をはじめました。

全身に浮腫みがあり、両方の肺に心不全を疑わせる雑音が著明に聞き取れました。
床ずれもひどく、口からは極少量の物しか取りません。誤嚥(穴違い)もあります。
御家族の「希望」を確認し、心不全の治療と肺炎の治療を自宅で開始しました。

最初の2週間ほどは心不全の改善もあり、少々元気を取り戻しました。
しかし、肺炎の方は進行をくいとめていると行った状況でした。

10日ほど経ってから、御家族からしきりに「後何日か」と聞かれるように� ��りました。
同時に、「1週間だというから連れて帰ってきたのに」という介護疲れを訴えるようになりました。
良く聞いてみると、「希望」とは、患者さんの痴呆症状に関して、病院ではいろいろな意味で「肩身の狭い」思いをしていたため、それに耐えて1週間過ごすなら、家でという「希望」でした。
主治医からは、「税金の無駄遣い」とまでいわれたとのことです。(御家族側の誤解もあると思いますが)
改めて本人に病院に戻るか家にいたいかを確認すると、「家にいたいですか」という問いの時のみ首を縦に振ります。
御家族に、もう一度病院に頼むことも出来ることを話しましたが、「病院はもう結構」とのことでした。
こちらとしても吹っ切れないものを感じましたが、その日の夜にもう一度話し合� �、今後家にいた場合に起こるであろう変化を説明し、在宅終末期医療を続ける事になりました。
結局、3週間の在宅生活の後、亡くなりました。
最後には、御家族から、
「こんなに静かに亡くなることもあるのですね。有り難うございました・」
と言って頂きましたが、私もなんとなくスッキリしない在宅終末期医療でした。

極端な例かとも思いますが、病院の入院期間の短縮傾向とあわせ、今似たようなケースが増えていないかと心配です。
皆さんはこのような経験はありませんでしょうか?
(「つぶやき」のページにも別の形で掲載させて頂きました。)
事例4 世話好きなおばさん・・・・・・・・taruさんから提供して頂きました

70代の I 女さんは分譲マンションに一人でお住まいです。
血圧が高く(200前後)、医師に入院を勧められましたが、気ままな生活をされているので入院拒否。降圧剤は飲んだり飲まなかったりの状態で服薬管理できません。
痴呆が進んできて金銭管理もむずかしくなってきたので、訪問看護やヘルパーが定期的に訪問する事になりました。
最初の頃は、なかなかドアを開けてくれず、「何しに来たの?何ともないわよ」と不機嫌な状態で、私も気分も重かったのですが、何度も足を運ぶうちに、機嫌よく家の中に入れてくれるようになりました。
看護婦のOOです。と毎回名乗っているのですが、すぐに忘れてしまうようで、他の人には「世話好きなおばさん」と紹介しています。
ところで、独居の為、緊急通報システムが設置� ��てありましたが、エアコンのスィッチの切り忘れとと思い込み頻繁に押したり(誤報)、コンセントを抜き(消防隊に通報がいくので)本人と連絡がとれなかった為事故ではと思われ、レスキュウ隊まで出動する大騒ぎになってしまいました。結局、緊急システムは使いこなせないので撤去しましたが、近隣の不安(失火等)は続いています。
ヘルパーの協力、連携もあり、服薬状況はまずまずです。
お金の引き出しができなくなり財布の中はからっぽ、訪問した時にピーマンを焼いて食べていた時にはさすがに驚きました。
定年まで働いておられたのである程度の貯えはあるようですが、、、、、、
親族は、妹さんがいますが「身内ではない。おまかせします」と非協力的な状態でした。さいわい、ケアマネジャーの努力 で少しづつ話し合いが進み理解してくれつつあります。お金の方も妹さんの了解を得てヘルパーが同行して卸しています。
関係者に支えられなんとか生活できている状態ですが、最近、脚力も低下し外出もあまりできないようです。「訪問した時倒れているかもしれない。」みなが持っている共通の認識です。在宅の限界をどこで、誰が判断するのか現在の課題です。
「痴呆専門医に定期往診してもらう」ことでは、話がまとまりました。
皆さんのご意見も聞かせて下さい。

事例5 ・・・・・・・・・・・・・・悩める内科医

84才 男性
アルツハイマー型痴呆があり、現在は経管栄養(鼻から管を胃まで入れて、栄養剤を注入する方法です)の状態です。その他にも、慢性の気管支炎・胆石症があり、体調は変化しやすく、医療の必要度の高い方です。
他の病院で3ヵ月ほど入院されていましたが、急に、「今月中に他の病院を探して欲しい」といわれ、私の病院に相談に来られ、入院となりました。
確かに、1ヵ月の間に何回か熱を出し、来られた時には全く話しをされませんでした。
それでも、一時的な点滴や抗生剤の使用などの治療をすれば状態は改善し、現在は簡単な会話は可能になりました。但し、今後もかなりの「医療」が必要となるでしょう。
今後について、ご家族がいわゆる「療養型病床」を持つ病院に相談すると、「急に状態が悪く なっても、今までのような治療を続ける事はできません」と説明され、ご家族は踏ん切りがつきません。(誤解もあるかもしれませんが)
自宅での介護力は息子さん夫婦ですが、お嫁さんは介護には最初から消極的です。
お嫁さん自体も狭心症など無理のかけられない病気もお持ちです。
病院にとっても長期の入院のかたが増えるほど経営を圧迫することは明らかです。現状でもこのようなケースの長期入院が増えています。
今議論されている医療法の改正が通れば、75才以上のこの方のようなケースはますます入院が困難になってくるでしょう。
さて、どうしたものか。
皆さんはどのように対応するのがベストとお考えでしょうか。

事例6・・・・・・・・・・・・・・・悩める内科医

90才の男性

閉塞性の黄疸(胆汁の流れが悪くなり、黄疸が出る状態)で、ガンセンターを受診し、胆石症と胆管癌と診断されました。
紹介状では、本人が手術を拒否し、「家に帰りたい」と強く訴えるために、胆石症が治まった段階で退院としたようです。


耳ピアスの減量

同時に、脳梗塞の後遺症による左の麻痺とパーキンソン症候群のために神経内科も併診しており、通院管理と介護保険導入となりました。要介護認定は要介護U。
家では、やはり要介護Tの妻との二人暮しで、お子さんは無く、近くの「友人」が通院などの面倒を見ていてくれます。
今回は、この度の入院後、ADLが低下したためのリハビリテーション目的で当院に入院となりました。
幸い、今のところリハビリテーションは順調です。
ご本人は失語症もあり、若干の理解力の低下もあるため、早期の退院を希望しています。
収入はご夫婦の年金のみ。月に2人あわせて12万円。そのうち家賃が4万円程度。
3回生活保護の申請をしていますが、却下さ れています。
ご本人は「手術が必要な病気はあるが、手術を拒否してきたこと」はちゃんとわかっておられるようです。しかし、病名は理解できないようです。
いずれガンによる症状が強くなって行くであろうこの患者さんの退院時に、私達は何をしてあげることができるでしょうか?
また、どうしたらご本人の「家にいたい」という希望をかなえてあげることができるのでしょうか。

在宅が無理なら、どうすることが一番ご夫婦にとって良い道なのでしょうか。
悩みはつのるばかりです。

事例7・・・・・・・・・悩める内科医

78才の男性です。
数年前から、脳出血の後遺症でベット上の生活を続けておられました。
失語症があり、言葉では意思を表現できませんが、首の動きや目の動きで質問には答えることは出来ます。涙を流したり、感情の表現も出来ます。
胃の中に直接チューブを入れ、そこから栄養剤を注入していました。
御自宅では、常に咳と痰がひどく、吸引機という機械で、細いチューブを使って奥さんが喉から痰をとっていましたが、取り切れずに、一日中苦しそうだったとのことです。

入院の一週間ほど前から咳と痰がひどくなり、熱も出て、段々苦しそうになったとのことです。開業医の先生の往診を受け、何回か入院を勧められたそうですが、御本人が 「拒否」されたとのことです。
結局、「出来るだけ」(その意味は充分にはわかりませんが)自宅でがんばるという方針になっていたようです。

いよいよ呼吸が切迫し、本人の意識もぼんやりしてきた段階で紹介され、救急車で来られました。
両方の肺の重症肺炎で、人工呼吸が救命のためには必要な状況でした。
奥さんに相談したところ、
「本人は病院を嫌がっていましたが、私はできる限りの事をしてあげたいので、可能性があるなら人工呼吸をして欲しい。」
とのことでしたので、すぐに治療を開始しました。

危険な状況が1週間ほど続きましたが、何とか危機は乗り切ることが出来ました。
今後の治療を奥さんと相談し、気管切開という処置を行いました。
2週間目頃から御本人の意識も明瞭に なり、首の動きや表情で感情を表現できたり、質問には答えられるようになりました。人工呼吸器からも離れることが出来ました。

患者さん御本人は、奥さんが居られるときには嬉しそうにしたり、安心したように見えますが、我々医療者には拒否的です。
奥さんは家庭での介護にも前向きな気持ちで居られますし、以前よりも楽そうにしていると喜んでおられます。

私たちは、御本人の「意思」とは違う選択をしたのかもしれません。半分は割りきれない気持ちを持ちながら、奥さんとの闘病を見ていると、患者さん御本人が新しい「生活」を見つけられるような気もして、良かったのかとも思います。

皆さんはどのようにお考えになるでしょうか。

話題1・・・・・・・・悩める内科医

先日の、日本ホスピス・在宅ケア研究会でも、今までに無く、訪問看護ステーションやケアマネージャーさんや施設からの「高齢者の終末期」についての報告が多かったように思います。
そのなかで、一つ、「皆さんはどうされているのか」どうしても聞きたかったけれども、機会を逸した問題があります。
それは、「患者さん御本人の考え方」をどのように把握し、御家族を含めた介護や医療にかかわる周囲の人たちがその希望を「どのように」尊重しているのかという問題です。
特に、脳血管障害などで、意志の疎通が充分に取れない方の場合、御家族がいらっしゃるとかなりの情報が得られると思いますが、独り暮らしで身寄りの無い方や、老人だけの世 帯の場合にはどのように対応していらっしゃるでしょうか?
私個人はかなりの困難さを感じています。
そして、「希望」や「考え方」がわかったとしても、それが簡単には御家族や医療・福祉関係者が受け入れがたいものであった場合、どのように(どの程度)尊重しようとされるのでしょうか?
上記の事例でもかなりのジレンマを感じています。
同じような悩みや、困難を感じられている方!あるいは、貴重な経験をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ご意見をお寄せ下さい。

話題2・・・・・・・悩める内科医

高齢者の方々の中には、様々な身体的な苦痛や精神的な苦痛から、生きていることの意味を見出せず(あるいは見失い)、「早く死にたい」と訴えつづける方達がいます。
同じ人でも、「死にたい」と訴える時があったり、「まだ大丈夫ですよね?」と何度も問い掛けてこられる場合があったり、揺れ動いている姿を良く目にします。
一方で、気管切開をしていたり、話しが出来ない状況でも、在宅で安らかに、満足そうに暮らしている方々もいます。

高齢者の方々に、尊厳ある生を感じて頂くにはどうしたら良いのか。どんな援助ができるのか。

日々のお付き合いの中で悩むことは多いと思います。
皆さんはどのように感じ、どのような経験をお持ちで� ��ょうか?
是非、ご意見をお聞かせ下さい。

事例8 ・・・・佐藤先生

富山で11月13日に佐藤先生が開催される「高齢者の終末期を考える会」の第一回の事例検討の症例です。
先生の御許可を頂き、掲載いたしました。皆さんの活発なご意見を望んでおられます。皆さん、その会に参加するつもりで、多くのご意見をお願いします

主病名

1.                            脳梗塞後遺症


薬や心理療法によるうつ病の治療

2.                            脳血管障害性痴呆症

家族歴

夫とは患者70歳のときに死別、子供は息子が一人(富山在住)

経過

平成3年(80歳)、脳梗塞発症。軽度の左片麻痺の後遺症あるが自宅療養。平成5年ごろより徘徊、尿失禁出現し当院入院。

その後次第に痴呆症進行し、平成9年ごろからは寝たきりの状態。

食事はなんとか全介助にて摂取。座位保持は短時間であれば可能だが車椅子は無理。排泄はオムツ。片言の言葉は発するが、意思の疎通はほとんどできず、息子のことも認識できない。夜間奇声をあげることも多い。

平成13年5月発熱あり。それに伴い食事量が少なくなる。このときは輸液と抗生剤投与で下熱。しかし、その後食事量・水分量とも少ないままで、日中寝ていることが多くなった。

ここで、今後の方針につき家族と相談した。

<家族の希望>

「母は今まで十分にがんばってきたから、むやみな延命は止めて欲しいと思う。必要最低限のことだけして下さい。」

この事例を提示する際に考えたこと

1.    痴呆があり、自分のことを決められない高齢者の治療・ケアの方針は、家族の決定をそのまま受け入れるべきなのか。

2.   必要最低限のこと」とは何か。

(ア)    経管(経鼻・胃瘻)栄養は?

(イ)    末梢からの輸液は?

(ウ)    抗生剤や解熱剤などの薬剤の投与は?

(エ)    血液検査・レントゲン検査は?

3.    在宅、特老、老健、病院などの施設によってこの症例への対応の違いがあるか。

事例9・・・・はなゆー@山梨 さんからご許可を頂き、掲示板より掲載しました。

私の担当するケースですので詳細なことは申し上げられないのですが概要だけ。
94歳の在宅の女性が療養病院へ入院を希望されました。紹介状をみると主訴は高血圧症。
歩行は出来ませんが室内のいざり移動は可能です。記憶障害がありますが問題行動はなし。
息子夫婦が10年以上在宅で介護をしてきました。
それで療養病院への入院理由なのですが、「食事がとれなくなったので」ということなのです。
近所の開業医の先生が往診されているようなのですが、先日「褥瘡も出始めたし、食事が取れなくなってきているので病院へ行きなさい」と家族が言われたようです。
家族は、いつも良く診ていただいている開業医の先生から「病院へ」と言われて入院希望を出されたのですが、よく話を聞いてみると本人の今の 状況について、開業医の先生から特に何の説明もなく、また本人も「家にいたい」という希望が強いようです。
この方は介護保険の在宅サービスも受けており、担当のケアマネージャーもいます。
今回は、本人の入院希望が確認できないことと、現状についてもう少し把握したかったので、担当のケアマネージャーに連絡をとり、入院をすすめてよいか確認するとともに、ターミナルの支援についてお願いし、家族にも医師への再確認と行政保健婦の活用など情報を提供しました。
ただ、介護疲れもあってか、家族の入院希望は大変強いと感じました。家族は、本人のターミナルについて積極的な延命は望まないとは言っているものの、病院へ入院すること自体、何を求めているのかもう少し伝わってきませんでした。

そこ で皆さんにお聞きしたいのですが、このケースについて
@介護している家族は、食事が取れなくなったとき、どうしていいか分からないこと
Aケアマネージャーは、当人のターミナルについて、家族と本人を交えて話し合いをしているのかということ
B開業医の先生がいる状態でも、やはり食事が取れなくなったら医療機関等へ入院することはどうなのかということ
C家族の、療養病院入院への希望が強いが、今後どのように考えたいのかのモティベーションが低い(先生から言われたから入院させる)こと
について、是非ご意見をお聞きしたいと思います。
私自身、患者さん本人と面接をしていないので、想像の域を出ないのですが、こういった事例についてどのように考えていけばよいのか、ぜひ宜しくお願いいたしま す。

この事例については、すでに掲示板で討論が進んでいますが、高齢者医療をめぐる、在宅・病院・施設の連携という問題や、多職種の連携という問題を含んでおり、是非継続して討議していただきたいと考え、はなゆーさんのご許可を頂き掲載いたしました。・・・・・・・(悩める内科医)


話題3(2002年5月)     ・・・・・悩める内科医

私自身は、高齢者の終末期は、「様々な条件はついていても、最期までその人らしく生きるためにいかにお手伝いできるか」であると思っています。
しかし、最終的には「死」を迎える事は避けられない事実です。
そして、その後のご家族の支援も、本来は含まれる必要があると思っています。

去年、私の前の病院の仲間達は、「病院で亡くなられた方のご家族への訪問調査」という形で、病院での死を少しでも納得の行くものにしようと、患者さんの入院中から亡くなられた後の事について看護研究をしてくれました。
その経験はきっと今生かされていると信じています。


同じように、様々な場所での様々な死にも、それぞれ良かった事と納得の行かなかった事があると思います。
また、病院に限らず、患者さんや利用者さんが亡くなる前のみならず亡くなった後も、本来はご家族へのサポートは必要だと思います。

今回は、あえて、「死」の前後に焦点をあてて、皆さんの様々な経験やご意見を伺い、今後のあり方を探ってみたいと思っています。

介護されていた方の死の前後の辛い経験や良かったと思われた経験、医療関係者への提言、あるいは、今介護されていて、どのような不安・不満があるのか、等々・・・・・
あるいは、専門職として「死」を経験され、強く感じられた事・・・・

是非皆さんのご意見を教えてください。


事例10・・・・・・・遠い道さん(掲示板から許可を得て掲載いたしました)2002年9月17日

77歳の男性ですが、退院しやがて1ヶ月になります。
5月に膵炎を外科で救命されたのですが、以前よりの痴呆?と極度の偏食が影響して、食事再開がままならず、IVH継続で、退院が膠着状態でした。家族と主治医の気持ちもすれ違い、試験外泊(IVH抜去)の時に、そのまま退院と私の在宅医療クリニックの往診開始となってしまいました。
この方は心筋梗塞後で10年ですが、室内生活可能です。
 数年前の喉頭癌は放射線治療で再発もなく、嚥下障害もないので、本人念願の自宅では
少しずつ何か食べてくれることを期待していました。しかし、水分は摂るものの、流動物も徐々に拒否し始め、必死で食べさせようとする家族(特に娘たち)との確執が日に日に増大する有様です。本人と私や看護婦との対� �は穏やかで、納得した感触もありますが、家族に言わせると私達が玄関で失礼すると、すぐ忘れたような言動になるとのことです。

末梢の点滴は、ほとんど血管がつぶれているので採血の際に一度したきりです。採血の結果は大きな臓器障害や膵炎の再燃はなく、水分摂取だけとは思えない意外な印象でした。

経口的摂取が無理なら、補食の意味で細い経鼻経管を勧めてみましたが、すぐ抜く現場を病院で見てトラウマになっているのでしょうか、家族の方から拒否がありました。
今のところ、軽い抗うつ剤の内服(薬は飲みます)と説得(意志での拒食ですか、の問いに食べたいのだが吐き気があるのでダメとの表明)で時間が過ぎて行きます。

「病院に戻る結果になりませんか」と伺うと、本人は戻る気はないし、� ��族も涙ながらに家に帰してやれれば本望の気持ちで退院させたから、と実際その気持ちはないようです。
しかし、家での確執は子供達のうち、女性二人が主で、妻はあきらめ気味の対応です。
なぜ、娘達が干渉的なのか、妻の話を聴くと「かって夫が箸の上げ下げにもうるさい」人だったので、その逆の再現風景を見るようだと言います。

まとめますと、本人のうつ症状か痴呆で摂食意欲がなく、それ以外の問題行動がないまま栄養障害が近日中に、顕現化し、在宅生活の継続を再検討すべき時間が迫っています。
本人の意思を尊重すべきですが、私達の「医療行為」はただ事態の後追いをするだけで、悪性疾患ではないこの方の「衰弱死」を助けるべきなのでしょうか、と悩んでいます。

精神科では、被害妄想(毒 入り妄想)での拒食や、摂食障害の限界体重以下の事例に拘束をしてでも、向精神薬の服薬や強制的栄養摂取をさせ、事態が落ち着く現場も目にしましたが、この事例はそれらとも、また違うように思います。

衰弱しきって拒否の意志が弱まってから栄養を補うことも、その方の意志を軽視する結果であり、ためらわれる選択です。

話が堂々巡りするようですが、「食べる」ということに、これだけの意志が介在しているとは恥ずかしながら、初めて体験しました。簡単にNGチューブやIVHを入れて来た過去は何だったんでしょう。

九州大会で、この栄養や食の問題のセッションがあったようですが、時間が重なり参加できなかったことが今となっては残念です。以上、長文失礼しました。よろしく。

事例11・・・・sato先生が「第二回高齢者の終末期を考える会in富山」で提示された事例をご許可を頂いて掲載しました。

症例 95歳 女性
平成9年に右手首骨折、この頃から臥床傾向で若干物忘れなどの痴呆症状あり。平成12年9月老健入所中に脳梗塞発症し左不全片麻痺となり近医入院し保存的に治療。10月には老健再入所。その後次第に嚥下困難出現し、点滴を毎日併用する状態になったため、平成14年7月16日当院入院となる。
要介護度 4(B2、Ua)
→★
入院後、摂食訓練を行い一時は全量経口摂取可能となり、車椅子自操可能までになった。約1年間状態はそれなりに安定していたが、平成15年7月に入って食事中にむせて誤嚥することが多くなり、発熱を繰り返すようになった。
→★
8月中旬からは、ムースのような形態のものでもムセることなく誤嚥するようになり、一時経口摂取を中止。
→★

詳細は当日、ビデオも含めて� ��話いたします。
★ の時点でご家族と、今後の事について話し合いの機会を持っています。
その中で問題となった点をいくつか列挙してみます。
皆さんはどのようにお考えになりますか?。

1. 経口摂取が困難になってきた際の水分・栄養補給をどう考えるのか。
2. 「必要最低限の治療を」とご家族が希望されたとき、どこまでを必要最低限と考えるのか。(解熱剤、抗生剤、抗潰瘍剤、・・・・・、輸血)
3. 「苦しまないようにしてあげたい」「自然な形で・・」とご家族が希望されたとき、ご家族はどのような思いがあるのか、医療関係者は何を考えるのか
4. ご本人の「意思」はどうなるのか。
5. 在宅、施設、療養型病床、一般病院で対応に違いがあるのか。



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